私は青年のひとりに「大平温泉とはどんなところだね」とたずねた。「ンだなあ、まンずお日様がごあいさつする程度だなあ」これはまさに言い得て妙だった。この訳は、アルファベットのV字をもっと幅せまくしたように深くえぐられていた。そして、このV字のいちばん底に大平温泉の宿はたった一軒ポツンとあった。 ▲昭和10年当時の滝見屋
〜戸川幸夫著 「山の動物たち」から〜
小説家であり児童文学作家であった彼が描いたユニークな大平の風景。この本の書かれたのは50余年も前のことですが、宿周辺の様相は今も全く変わっていません。吾妻山中の仙境は米沢盆地を流れる最上川源流近く松川本流に沿う柳沢渓谷に位置する海抜1050mにあり、丈余りの石垣の上に建つ宿は、小さな山塞のようです。
変わりたくてもなかなか変えられなかった、というのが先祖を含め親たちの本音でしょうが、 時間や情報の流れがどんどん加速する時代にあって、変わらずそこにあり続けるということが、お客様にとって意外と説得力をもつ時代になりました。創業から110余年。道なし、電気なし、重機も入れないこの環境でこんこんと湧き出る温泉と自然に魅せられて、少しずつすこしずつ歩んできた歴史は手作りと自然との闘いとの連続に他なりません。
メモ:自然といつも対峙 大平温泉の歴史
貞観2年(860)吾妻山中に分け入った狩人により発見される
享和元年(1801)浴舎を建てて開業
明治42年(1909)旅館を始める
大正15年(1926)東北地方暴風雨。
建物、源泉とも致命的な打撃(8月18日)
同年山を切り崩して新たに300坪の宅地造成と建物工事に着手。
標高1000Mを越す現場で工事の請負者もなく、やむなく常備で着工。
昭和9年(1934)4年をかけて竣工。
昭和13年(1938) なんと火事により旅館全焼。戦中のため旅館は贅沢扱いされ、建築許可おりず。人手と資金不足により再建を断念。(2月)
昭和15年(1940) 親族会議により廃業が濃厚に!(8月24日)