米沢の町の基礎を造った兼続

かねたん.JPG2009072322350003.jpg関が原の戦い後、反徳川陣営の上杉は、領地を削られ、米沢へ移封。大勢の家臣をかかえて、米沢へやって来た兼続は、新しい城下町の建設にとりかかりました。特に治水事業は素晴らしく、多くの堰と掘立川を造ります。米沢市街地から大平温泉方面に行く途中にも残っていますので、大平温泉に来られる際はぜひチェックしてください。

直江兼続の足あとマップダウンロード

http://staff.yonezawa.info/box/20080811103728701.pdf

 


@直江石堤

1.jpg海老ヶ沢大橋の南岸〜大平温泉滝見屋案内所近く〜

直江兼続の治水計画によって築かれた石堤です。米沢の町を洪水から守るため、下級武士によって築かれたこの堰は機械のなかったころの先人の苦労と治水の大切さを教えてくれます。

現在長さ1.2キロにわたって見る事ができます。

A龍師火帝の碑

李山丹南の最上川(松川)岸〜大平温泉滝見屋に向かう途中にあります〜

松川の水を李山地内より堰上し、南原や米沢城の堀となる掘立川へ水を流し込む重要な役割を果たし、猿尾堰(さるおぜき)

と呼ばれました。何度か失敗した水路工事もあり責任者が切腹したこともあり切腹堰とも呼ばれています。直江兼継はこのようやく完成した堰に鎮守の意味をこめ石碑を置きました。

石碑は水難火難が起こらないよう祈祷されたもので、中央に「龍師火帝」と大きく書かれています。

「龍師火帝」・・・『千字文』の一句

龍師は雨風を守る水神で、火帝は火の神を表します。

 ちなみに滝見屋とそのすぐ近くの「火焔の滝」は、この場所の上流にあります。